マナーのないオランダ人の話



会社のサーバーの共用ディレクトリに自分の個人ファイルを保管しておいて、それもヒトも迷惑になるほどの何十MBものファイルをほったらかしにして容量をあふれされ、それが自動メンテナンスで消されると、こんどはなんで消したとシステム管理者に文句をほざいているバカがいた。嘱託のオランダ人のアホだ。思わず英語では "Dutchなんとか" というのは、ろくでもない意味ばかりというのを思い出してしまった。

なんのデータか知らんが、重要なものなら、自分でバックアップするのがコンピュータの常識だ。自分でちゃんと管理せず、野ざらしみたいなところに置いておいて、「消去された」なんて他人の責任みたいな言い方するのはおかしい。自分がちゃんと管理せず、ほったらかしにしてるものなら、壊れたり、盗まれたりしても、誰も同情してくれないし、誰も傷をなめてくれない。それが常識だ。

それを周囲がとがめたら、そいつはその文句を社内の電子掲示板に書き込んだ。そうしたら当然そこでも非難の渦だ。さすがに他のユーザには常識がある。総スカンを喰ったら、彼は今度は自分の書き込んだアーティクルを削除してお茶を濁そうとした。そんなことしても揉み消せるワケはないのに。どこまで行っても、なんとも困ったヤツだ。しかしよく考えてみると、この問題は件のアーティクルの内容の含んでいた問題点と表裏一体、まさに不可分の関係にあることがわかる。

そもそも、最初の自分で削除したアーティクルの問題点とは、

1.自分の不注意、無責任でバックアップしておかなかったゆえに、サーバ上のデータが消されてしまった
2.コンピュータを使う上では、大事なデータはバックアップするというのが鉄則であるにもかかわらず、それをしていなかった以上、消えてしまった事による不利益は本人の責任である

というのが原則にもかかわらず、

3.消えてしまった責任を、メンテナンスのせいにして、システム管理者やシステム管理部門に責任転嫁してなすりつけようとした

という、極めて無責任、自分中心で、かつ他人に甘えた発想をしている点だ。で、この事実を、ぼくを含め何人かから指摘されると、今度は、

4.自分が書き込んだ発言を削除することで、もみ消し、それでことを済まそうとした

から、問題になっている。これも無責任と他人への甘えがあってこそなせるワザだ。このように、1.、2.から、3.への発想と、4.の収拾の発想とが、極めて似た行動様式になっていることに気づくだろう。

つまり、彼は「自分の社会的責任を放棄し、逃れようとしている」ようなヤツだからこそ問題なのだ。そういうヤツだから、次々とトラブルを起こす。事実彼は社内のトラブルメーカーだ。実際の社会生活の場合にも、こういう人はいる。たとえば、電車の中で他人にカラみ、迷惑をかけまくっている泥酔者なんかはそうだ。ただこの場合は、周りに人がいれば、正義感の強い人が諌めるかもしれないし、お巡りさんがいれば、当然、なんらかの対応を受けるだろう。

だからこそ、社会的な場においては、泥酔者本人の心の中に、一抹でも社会性が残っていれば、「自制心」が働く(この「社会的自制心」が働かないからこそ、家庭内暴力や、虐待の問題は大きいのだが、それはまた別の機会に)。で、問題はパソコン通信やホームページに代表される、電子メディアだ。なぜかこういうところほど、問題児が目立つ。

どうも、書き込むとき目の前に端末しかないせいか、このような電子メディアでの発言や行動となると、実は公共の場であるにもかかわらず、「社会的自制心」が働かなくなる人が多いようだ。これは大変困ったことだ。コンピュータ的に「書き込める」ことと、その場の社会的な関係の中で「書いてもいい」ことは、全く違う。けれども、こういうバカ、すなわち「社会的自制心」が働かない人は、「書き込めること」=「書いてもいいこと」と、勝手に都合よくとらえてしまいがちになる。これが、いわゆる「困ったちゃん」を生み出す。

公共の場での発言という意識がそもそもないから、ごめんで済むと思ったり、消しゃ済むと思ったりすることになる。差別意識を持っていたり、軍国主義的だったりする政治家が、自分の知性のなさを吐露するような妄言をはいた後で、「オフレコだった」と言い訳したり、「取り消し」といってお茶を濁したりする神経と、全く一緒だ。それが本音なら、堂々といえばいい。そのかわり、きちんと責任を取る。これが、公共の場での発言というものでしょう。甘えた態度で発言して欲しくない。「責任が持てないなら、書き込むな」「ひとたび書いたら、責任を取れ」これが基本だ。

パソコン通信等の電子メディアにおける発言では、そこが「公共の場」であることを、実生活以上に念頭において、「自分の社会的責任」をきっちりと踏まえた発言をすることが必要なのだ。インターネットをはじめとする各種電子メディアが、ビジネスに必要不可欠なツールとなりつつあるこのような時期だからこそ、電子メディアの持つ「公共性」を考えることが重要になる。

地下鉄の社内や、天下の公道上、レストランの中といった、実生活での公共の場で、何が、基本的にやっても良くて、何が、自分で責任を取れればやっても良くて、何が、絶対にやってはいけないか、ということを常に考えてほしい。これは、電子メディアでも同じなのだから。


(96/03/12)



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