喫煙・嫌煙



喫煙者と禁煙者の議論って、どうして「どっちが正しい」になっちゃうのかな。元来一元論じゃないのに。喫煙が正しいか禁煙が正しいかじゃなくて、どうやったら幸せに共存できるかを話し合うべきでしょ。喫煙者も、禁煙者も、人間としてはどっちも対等なんだから、喫煙者は、禁煙者の権利を尊重し、禁煙者は、喫煙者の権利を尊重し、互いに、それぞれの世界の中では自由にするけど、他人の世界には干渉もしないし、迷惑もかけない。

これでいいじゃない。人権を守るって、元来こういうことでしょ。禁煙者も、喫煙者が、自分の世界のなかで誰にも迷惑をかけずにタバコすってるのまで文句をいうのはおかしいし、喫煙者も、嫌がる人の前で、これ見よがしに煙をふきかけるのもおかしい。差別問題と同じでさあ、原因は両方にあるし、それはどちらも自分の権利を主張することに熱中するがあまり、相手の立場を理解する余裕がないから、こういう紛争になるんですよ。

特に、禁煙者に言いたい。「禁煙が正しいわけではないんだから、互いの趣味の相違は尊重せよ」と。ちなみに、ぼくはタバコは吸わないけど、これは「ぼくが吸いたいと思わないから、吸わない」だけで、周りで吸ってても、気にしません。ただ、「おまえも吸え」といわれたら、怒るよ。こういうもんでしょう。

特に日本人とかの東アジア人なら、基本的にアニミズムの「八百万の神」で、一神教じゃないんだから、主義主張の違いをうまく調整できるのが本来の姿だと思うけどね。嫌煙問題って、そもそも諸悪の根源、世界の紛争の元凶である、キリスト教的一神論にもとずく社会のアメリカからでてきたものだからね。あんな国のまねはしちゃいかんですよ。血で血を洗う争いになるだけ。

そういう意味で、この問題でいちばん困るのは、「禁煙」が正しくて、「喫煙」が間違ってると言うやつらです。喫煙者だって基本的には、禁煙者のことを考えて、禁煙のところでは吸わないように我慢してる人がほとんどのわけです。これは、これで、すごい気を使ってるわけですよね。

でも、なぜか禁煙者には、この気配りをあたりまえだと思って、ここへの感謝の気持ちがないひとが多すぎます。こういう面では、まだ、喫煙者のほうが、相対論というか、互いの気配りを評価する人が多いようですね。

自分だけが正しくて、相手は絶対的に間違っている。こんな心の狭い主張をしていて、相手が心を開いてくれるわけはありません。北風と太陽、ではありませんが、人間、喧嘩腰なら喧嘩になるし、ソフトに話せば妥協もできます。嫌煙権の主張をする人は、ここを間違えないでくださいね。

たとえば、「自分は煙アレルギーなので」とかいって、うっとうしいと思ったら会議室からさっさと退席してしまうのも一手でしょう。煙がいやな人の場合。もし、いてもいなくてもいい会議なら、抜けられてめっけ物ですよね。逆に、あなたが必要な会議なら、きっとみんなしばしタバコを控えると思います。相手をひれ伏させることだけがすべてではないでしょう。

何度も言いますが、ぼくは、タバコは吸いません。けれど、禁煙が正しいと思わないし、もちろんどこでも吸うべきだとも思わない。しかし、自分が吸ってほしくないときに相手にそれを納得させるには、相手の立場もわからなくてはいけない。言いたいのはこれだけです。けれど、これすらもわかってないヒトが嫌煙権者には多すぎるということです。人間の心って、こんなに狭いものなんですか?


(95/05/10)



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