アレサ・フランクリン





ぼくが思うには、アレサの魅力とは、その黒っぽいソウルフルな唱法と、白人的面もあるポップなセンス、という二面性じゃないでしょうか。まっくろくろのコロンビア時代から、アトランティックに移って、一気にメジャー・スターダムにのしあがったのも、この辺のポップさが開花したものでしょう。まぁ、アトランティックは、こういうのがうまい会社だから。

で、この時代の彼女のアルバムには、かならずビートルズとかバカラックとかいったポップチューンがフィーチャーされてるわけです。これ自体は、ある種の「はやり」みたいな面もあったけど、彼女の場合ちょっと違うみたい。会社の方針とか、プロデューサーの意向とかいうんじゃない、もっと積極的な何かを感じる。唄いこなしも、ほかの人とひと味違うし。

たとえば、サザンソウルのナンバーとして、69年にリリースされたビートルズナンバーのカバー2曲を比べてみましょう。それはウィルソン・ピケットの"Hey Jude"と、アレサの"Let It Be"。ピケットのヤツは、原曲の、ポールらしいフォークっぽいノリを、なんとかソウルっぽくしよう、というんで、リキんでリキんで、頑張りすぎの感。アレサのは、ま、もともと、ちょっとゴスペルっぽい曲想を、リキまず、それっぽいだけのポップチューンに仕上げてる。この差ですよ。

それがあったから、70年代になって、アトランティックが都会派ソウルに転向して、staxを売っとばしたり、ピケットをクビにしたりした後も、ちゃんと生き残れたんでしょう。前にも、ちょこっと書いたけど、そのバランスが、60年代末から70年代初頭にかけての時代背景に、ちょうどフィットしてたわけです。へんな話、"貴方だけを愛して" なんて、どことなくジャニスしてて、ウッドストック時代のロックのノリもあるからね。

でも、本格的に70年代になって、ロックンロール以降を同時代的に体験してきた、第二世代のブラックアーチストが出てくると、これが、逆にアイデンティティーの不足となっちゃった。多少、不遇な時代でしたね。それでも、ちゃんと生き残ってましたからね。今度は80年代に入るとブラコンがブームになって、またスポットライトが当る。ブラコンってまさに、彼女の持ってる二面性そのものだもんね。ちゃんとヒットを連発して復活しちゃうあたり、さすが Queen of Soulというところでしょうか。


(1987年7月23日)



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