首都圏最後のd51天国 -高島貨物線・1970年4月〜8月・その2-


先月に続いて、今月も末期の高島貨物線で、中学の頃に撮影した恥ずかしいカットをてんこ盛りで行きます。蒸気機関車終末期の新鶴見機関区は、全検期限の使い回しから、機関車の入れ替わりが多い上に、高島線の方に出てくる運用にはあまり入らないカマもあったようで、当時の配属機全てをカバーしているワケではないのですが、前回登場しなかった機番のカマを中心に、第二回をお届けします。今回は初心者らしく、機関車がアップになっているカットを多く選んでみました。こういう構図は、高校生になるとあまり撮らなくなってしまいましたから、個人的には妙に気恥ずかしいのですが。



まずは、D51408号機。前回は考証で推定しましたが、今回はバッチリとアップでの登場です。上り列車が鶴見駅を発車して、鶴見川の橋梁にかかるまでの間での撮影です。典型的な「バッタ撮り」ですね。この頃はまだ、前回のカットで見れる程度の人出でしたが、なんせ、東海道線、京浜東北線と並行している区間ですので、休日には鉄道公安官が出てきて見回っていました。流石に東海道線側に侵入すると怒られましたが、一番海側を走っている高島線をその外側の犬走りから撮る分には、けっこう大目に見てもらえたモノです。



入手したばかりの望遠レンズで捉えた、D51207号機。上記のような理由で、上り列車はどうしても非公式側から撮ったカットになってしまうので、ちょっと雰囲気を変えてみた、という感じです。207号機も、前回考証カットはありましたが、これまたバッチリとナンバーが読めるカットでおとどけします。南岸の護岸の上から、線路にかぶりついて撮影した感じですね。鶴見駅に停車する列車は、出発してから鶴見川橋梁の近くまで力行してきますので、列車の定数によっては、かなりの煙も期待できました。こういうカットもほとんど撮らないので、なんか自分の撮った写真とは思えません。ムービーっぽい構図ですね。


鶴見川橋梁上の、D51786号機。786号機は、前に「鶴見をめぐる表情 -1970年春〜夏-」でも登場しましたが、「特異点のカマボコドーム」のカマとして知られている、786〜790号機の一輌で、前後の番号より一年近く遅れて完成したため、準戦時型になってしまったカマです。これはなんか、バウハウスや未来派にカブれた「昭和初期のモダニズム」みたいな構図ですが、それだけ素直に迫力にやられてしまったということでしょう。この時期はまた、新規の電化でも、トラス製の架線柱を立てていたんですね。それがまた、昭和初期っぽい感じの原因でもありますが。


橋梁上で「湘南電車」に追い抜かれる、D51515号機。モノクロですが、塗り分け位置で、湘南色とわかります。サロ111が二輌入っていて、おまけにまだ非冷ですね。515号機は、大宮の配属が長かったカマですが、51515とゴロの良いナンバーで、人気がありました。そのせいか、八王子には2年ほどしかいなかったにもかかわらず、八高線無煙化記念の「八高号」(拝島の八高号 -喧騒の中の八高線無煙化記念列車 1970年10月4日-参照)
牽引という大役を担っています。

まだ架線が張られていない区間を行く、D51723号機。しかしこの構図、走行写真というより、形式写真に限りなく近い感じ。なぜがちゃんとロッドが下に降りてるし(笑)。鉄道写真を知らないヒトが、車輛の写真を撮ると、こういう感じになりがちですね。まあ、模型では、こういう構図もよく撮るのですが。723号機は、新製以来新津にいたカマで、よく見ると、LP4031灯で副灯なし、長野工場タイプの手すり、旋回窓、テンダーの3000l重油タンク等、その特徴をよく残しています。まあ、どアップの分、そういうディテールもよく見えるということでしょうか。


最後は、ちょっと違った雰囲気で。このカットは、本当に端っこのコマなので、ちょっと光がカブってしまっていますし、保存状態も悪いのですが、スキャンしてみると妙に味があるので、取り上げました。鶴見神社のところの、県道14号線のアンダーパスです。この構図で、機関車の形態も関東標準型となると、機番の考証は、ちょっとお手上げです。この写真のポイントは、道路を走っているクルマ達。サニーバン、ファミリアバンをはじめ、いすゞべレット、日野コンテッサなど今はなきメーカーの乗用車、遠くには旧式のトヨエース。昭和の繁華街の路上を写したカットは多いのですが、場末の工場地帯の路上のカットは、そうはありません。こういうのを見ると、昭和のジオラマ、レイアウトを作りたくなっちゃうんですよね。ということで、同好の士に送ります。



(c)2010 FUJII Yoshihiko


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