玉電開通100周年記念 東急電鉄世田谷線 -1992年夏-


さる3月6日は、1907年に玉電の道玄坂上-三軒茶屋間が開通してから100周年に当る記念日。先月から今月にかけて、渋谷・世田谷周辺では「たまでん物語II」をはじめ、いろいろな記念イベントが開催されました。地元民としては、ここは一つ、なにか便乗企画を作りたいところ。とはいえ、このコーナーは、古い写真がなくてははじまりません。こればっかりは、新たに作るわけにもいかず、ありネタの中からさがすより他はありません。そもそも、廃止前の玉電は、何度も乗ってはいるのですが、撮影した記憶はありません。もしかすると、1〜2カットはあるかもしれませんが、これでは特集になりません。廃止は1969年5月ですから、もう半年遅ければ一眼レフを購入していたので、間違いなく撮影していたとは思いますが。一方、世田谷線になってからの、1970年代に撮影したカットは、このコーナーの第二回で取り上げてしまっています。ということで、一気に時代を超えて、1990年代の世田谷線ということになりました。いままでの1960年代、1970年代の写真とは比べるべくもありませんが、これでもすでに15年前。今となっては充分に、失われたなつかしいシーンといえるでしょう。



1992年といえば、ぼくとしては鉄分が最も薄かった時期。まあ、趣味誌を書店で立ち読みするぐらいはやっていましたし、1〜2年に一回ぐらいのペースで、Nで好きな車種が出れば買う、という程度の接点はありました。実は、この頃はカメラコレクションにハマっていて、いろいろ購入しては、散歩に持ち出してはスナップ撮影する、という楽しみ方をしていました。そんなワケで、地元の名物世田谷線も、当然のように被写体となった、という次第。まずは、松原-山下駅間、松原駅から赤堤通りを越えた付近を行く、三軒茶屋行きの150型、153-154編成です。


今回は、撮影日が2日にわかれていますが、それぞれ山下駅周辺と、若林-松陰神社前周辺で撮影したモノから、カットを選んでいます。実はこの時は、ハッセルブラッド500での撮影です。レンズはプラナー80mmとゾナー150mm。基本的には上下方向のみをトリミングして、デジカメサイズにしていますので、この2コマで、すでに両レンズの違いが出ています。こちらは、一コマ目より若干山下方面に寄った、「元の小田急経堂車庫の端っこの踏切」に通じていた道(重要な抜け道なので、地元の人ならこれでわかる)の踏切のところで捉えた、三軒茶屋行きの70型、73-74編成です。


散歩がてらですから、ゆっくりゆっくり、他の風景等も撮影しながら、山下までやってきました。使わなかったカットを見ると、経堂のほうを大回りして、暗渠にした遊歩道を通って山下まで来たようです。三軒茶屋行きの70型、73-74編成が、山下駅へと進入するところ。この車輌、先程のカットから、三軒茶屋-下高井戸間を一往復しての登場です。この日のフィルムは、富士フイルムのリアラですが、1990年代のブローニー判のネガカラー、それも当時の最先端のフィルムとなると、さすがに発色がいいですね。いかにもプラナーらしい描写になっています。


第一日目の最後のカットは、おなじみ小田急線との立体交差に差し掛かる、下高井戸行きの80型、81-82編成です。バブル崩壊以降とはいえ、この15年で世田谷線周辺の景色も大きく変わりました。その中でも、一番変化があったのは、この山下の立体交差ではないでしょうか。小田急線の複々線化とともに、それまでちょっと郊外っぽい感じもしていた豪徳寺駅周辺も、一気に都心の幹線のような風情となってしまいました。すでに車輌のみならず、景観も含めて「記憶の中」だけに残る存在です。


さて、ここからが2ラウンド目、日を違えてのカットです。カメラはやはりハッセルなのですが、今度はフィルムがコダカラーの上に天気もうす曇りと、発色がかなり違います。まあ、この描写の違いがそのまま表現されてしまうのもまた、「力量」といえばそうなのでしょうが。まずは、松蔭神社前で交換する、下高井戸ゆきの70型、71-72編成と、三軒茶屋行きの150型、151-152編成。こうやって見ると、オール300型化ともに行われた、ホームのかさ上げと改装によるバリアフリー化で、ずいぶん雰囲気が変わったことがわかります。


若林から松陰神社前への坂を駆け上る、下高井戸行きの150型、151-152編成。先程の三軒茶屋行きが、折り返してやってきました。この一角は、今ではだいぶへずられてしまいましたが、昔ながらの世田谷の雰囲気があって、けっこう好きな場所です。考えてみれば、世田谷線になってからも、1980年前後の車体更新、1990年頃の前照灯2灯化、1990年代後半の台車変更・カルダン化と、いくつかの節目がありました。この時の「旧台車・2灯」というのも、意外と時期的には限定されるのですね。個人的には、一番思い入れの多いスタイルなのですが。


世田谷線のハイライトといえば、今も昔も環七踏切。世田谷線の車輌が、道路上にその姿をさらすのは、ここしかありません。イメージとしては、路面での活躍を髣髴させます。格好のお立ち台となっている歩道橋から撮影したのは、下高井戸行き。この編成は、実は他のカットから、73-86という変則編成であることがわかります。踏切の向こう側には、バブル期に、かの「六本木クリスタル」の広告が掲出されていた、三角形の塔が、白く塗りつぶされたまま残っています。いったいこの塔、いつまで残っていたのでしょうか。


最後に、環七踏切上で交換する、三軒茶屋行き70型、71-72編成と、下高井戸行き150型、153-154編成。消費税3%のころは、料金は120円だったんですね。ちなみに、この日の運用は未使用カットから全部わかっていて、1運用が153-154、2運用が71-72、3運用が75-76、4運用が151-152、5運用が73-86という組合せでした。それにしても、前面窓を開け放って疾走する世田谷線。あの風の感触も、いまとなっては記憶の中でしか味わえないものとなってしまいました。15年の月日は、決して短くはありません。

(c)2007 FUJII Yoshihiko


「記憶の中の鉄道風景」にもどる

はじめにもどる
inserted by FC2 system