晩秋の秩父鉄道 -1974年秋-


それにしても、偶然というのはおそろしいもの。3月11日の東日本大震災では、直接的な被害はさほどなかったのですが、押入れの中など、積み上げてあった荷物が崩れてしまったりはしました。そんな荷物を整理しながら、簡単には崩れないようにしっかりとまとめていると、中から35mm版のネガの束が出てきました。見覚えのあるネガケースから、これがタダモノでないことはすぐわかったので、片付けが終わってからじっくりチェックすると、コレがびっくり。小学生4年生から大学生1年生まで、まさに昭和40年代とシンクロする時代に撮った写真群です。その中には、偶然撮影した鉄道関連のカットもたくさんあります。ちょうど今の家に引っ越してきたのが、鉄分が最も薄かった時代だったので、貴重なネガということで別枠で保存しておいたものの、そのまましまったことすら忘れてしまったということなのでしょう。もちろん、そういう写真を撮ったことを覚えているカットもありますが、そこで写したことすら忘れてしまったカットもあります。今回は、そんな撮影に行ったことすら忘れてしまった「記憶の外の鉄道風景(笑)」。昭和40年代の秩父鉄道です。



まずは、秩父鉄道といえば定番の撮影地といえる、親鼻-上長瀞間の親鼻橋、荒川橋梁を行くデハ100。さすがに車番はわかりません。このネガは、保存状態が最悪で、褪色、傷がはなはだしく、補正を掛けてもこのぐらいしか出せません。まあ、なんとか晩秋っぽい感じにはなったでしょうか。当時の秩父鉄道の電車は、自社発注のオリジナル形式の車輛が中心で、独自の世界を醸し出していました。デハ100も、80年代に入ると次々と廃車されてしまいましたので、今となってはそれなりに貴重なカットといえるでしょうか。


続いて、こちらも親鼻橋での撮影。というより、レンズだけ換えて、ほぼ同位置で続けて撮影したカットですね。秩父鉄道名物といえる、ヲキを連ねた石灰石列車を牽引するデキ200形式。これも車番はわかりませんが、特徴ある台車からデキ200ということは考証できます。デキ200は、今では貨物を牽引することはありませんから、これもそれなりに時代を感じさせる組合せといえるでしょう。そういう意味では、シールドビームではなく、150W型前照灯2灯というヘッドライトも、時代を感じさせるいでたちです。


それにしても、撮影に行った記憶さえないカットを考証するというのは、なんとも難儀なものです。その点ナンバープレートが写っているカットは、ちょっと気が楽です。機関車はデキ105号。しかし、今後は場所がわかりません。構内の側線の数と、カーブの具合からすると、上長瀞駅の寄居寄りでしょうか。駅には、東武の8000系の姿が見えます。そうです、1989年から西武鉄道が直通運転を開始し、1992年に廃止されるまで、東武東上線から直通で秩父鉄道に乗り入れをしていたのです。それにしても、東武8000系はまだ現役ですからね。さすがに、物持ちのいい東武鉄道だけのことはあります。


ここは、駅の規模感からすると、寄居駅でしょうか。駅で発車待ちをしている機関車は、きっちりナンバープレートが読めます。デキ7です。EE製のデキ6・7号機は、1977年には廃車になってしまいましたから、なつかしい記録といえるでしょう。一方ヲキを牽引して構内に進入しようとしているのは、デキ100形式ですが、ナンバープレートの位置から、デキ101号機とわかります。こちらは、保存車として、今もその姿をとどめているようです。それに負けず劣らず、ジオラマ派としては、駐車場にあふれいているカローラ、サニー、N360といった昭和40年代銘車達も気になってしまいますね。


最後に、貨車越しにチラリと姿を見せる、ED383号機。手前に見えるテム300も、秩父鉄道らしい雰囲気を盛り上げています。しかしED38って、ぶどう色塗装時代は青ナンバーだったんですね。思わぬ発見もあります。この時は、同じネガにある記念写真から、鉄研の仲間と、乗り、撮り、飲みをあわせた日帰りツアーで秩父鉄道に行ったことがわかります。けれど、本当に行ったことすら覚えてませんね。このあと東上線で帰って、池袋あたりでしこたま飲んで、そのまま忘れちゃったのでしょうか。その後も、秩父鉄道には乗ったことも、撮ったこともないので、貴重な記録ではあります。


(c)2011 FUJII Yoshihiko


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