兵どもが夢のあと -1971年4月4日・12月18日-


ぼくが蒸気機関車の撮影旅行をやりまくっていた、現役蒸気末期の6年間は、大きくいえば、いつも半年ごとに節目があり、線区単位での無煙化が実施されてきました。線区の無煙化は、今でいえばラストランのようなもので、さよなら列車、お別れ運転など、そのイベントも段々派手になるとともに、超赤字の国鉄にとっては、「客が呼べる」イベントとなりました。消えてしまう線区へのノスタルジアもさることながら、当時は全検期限の残ったカマの使い廻しが、全国的に行われていたので、まだ期限の残っているカマを、無煙化した機関区からまだ蒸気機関車が現役の機関区に転属させ、前からいた全検切れのカマを廃車にするということが、頻繁に行われていました。だから、半年前に撮影に行ったときは現役だったカマが、次に行ったときには火を落とし、廃車体になっているということも、しばしばありました。それが思い入れのある機番のカマだったりすると、なんとも切ない気分になったものです。今回は、そんな記憶を訪ねてみます。



まず最初は、1971年4月4日の霧島西口駅。この時は、半年前の鹿児島本線電化で廃車になった、鹿児島機関区のハドソンたちが5輌、側線に留置されていました。まずは、C6132号機。実は、この半年後には、青森から宮崎への転属で、九州にC61が復活してしまうのですが、この時点では知る由もなく、前年の夏に撮影した姿が最後になってしまったんだな、と、撮影旅行を始めて一年にして、この世の諸行無常を改めて感じたのでした。


続いて、C60107号機。先ほどのC6132号機が、いかにも殴り書きという感じでナンバーが書き込まれていたのに対し、一応、もとのナンバープレートのイメージを気にした感じで、ナンバーが書き込まれています。こうやってみると「腐っても鯛」というか、C59の面影が伝わってきます。ディメンションは近くても、デザイン的にC61よりちょっと余裕があるのは、改造機であるC61に対して、最後の新製設計C型機であるC59譲りというところでしょうか。


三輌目はC61、なんですがナンバーが書いてありません。機番の特定には、考証が必要です。6輌の鹿児島配属機の中で、12、13、32はここにいますから、まず外れます。また、33号機は煙室扉ハンドルが、関東のカマのような「十文字型」ですから、これも除外されます。14か31か。カギになるのは、空気作用菅の引き回し方、公式側キャブ屋根の突起、正面やキャブのナンバープレートの位置大きさ等で、これにより31号機ということがわかります。比較的キレイなままの分、回送中の姿のようにも見えます。


ということで、側線の全景です。手前から、C6112号機、C6113号機、C6131号機、C60107号機、C6132号機です。この当時はまだ、配置されていた機関区に近い駅の空いている側線に、廃車したカマを留置していたので、現役蒸気撮影のついでに、廃車体を撮影することも可能でした。後になると、廃車輛数が増えたこともあり、かなりマイナーな駅にまとめて押し込むようになったので、おいそれと撮影できなくなってしまいましたが。それにつけても、日産サニーと三菱ミニカが、いい味を出しています。


ここからはその年の師走、1971年12月18日の撮影です。この日は、霧島神宮で日豊本線を撮ったのち、肥薩線へと移動して撮影しています。この前のコマが、霧島神宮付近での撮影、この次のコマが、隼人駅駅頭でのカットですから、隼人か国分かでの撮影と思われます。ここには、吉松で廃車になった3輌のカマが留置されていました。どれも上のカットを撮影した71年4月には、現役で出会っていたカマです。まずは、C5699号機。このあと保存され、荒廃し、再び修復されて保存という、極めて数奇な運命に翻弄されたカマです。


続いて、C5527号機。流線型用の安全弁座を残していたことで、人気があったカマです。それだけでなく、キャブの裾が、C61やC62のキャブのように、扉の下がまっすぐにカットされていた点も、改造した工場によるものと思われますが、九州のC55流改としては珍しい点です。この日は、濃い霧の中、時折激しい雨が降るというバッドコンディションの上、光線も逆光という最悪な状況。補正をかけても、この程度しかディティールが出ません。


3輌目は、C5526号機。吉松の流改4兄弟のなかでは、いちばんオーソドックスでスマートな仕様でした。資料が多いことも含めて、しばしば模型化されています。ぼくも、K-7デフ付き流改としては、26号機をプロトタイプにしました。背景には、ヤマエ食品のしょうゆ・みその倉庫か工場が見えます。ヤマエ食品は、南九州では「ブランド」で、九州ファンとしては、なつかしいですね。



その時、一瞬雨がおさまり、雲のスキ間から、薄日が射してきました。廃車体も、シルエットなら、現役時を偲ばせる姿になります。ここで、シルエットが絵になるものといえば………。そうです、C5527号機の安全弁があるではないですか。という流れで撮ったのが、このカット。ぼくが撮影した写真の中でもけっこう好きなカットで、学生時代の写真展とかにも出品しました。で、そのときのタイトルが「兵どもが夢のあと」。4号印画紙を使い、ペンキ書きのナンバーが見えなくなるぐらい、コントラストを強調して焼き込んだのも、懐かしい想い出です。


(c)2011 FUJII Yoshihiko


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