羽越本線、最初で最後の夏 その2 -1972年8月-


さて、今回は前回の続きからスタートです。親父の出張に写真班でくっついていったので、今一つ時間の自由度がなく、またフィルムもカラーネガが指定なので、万全というわけにはいきませんが、移動がスポンサー付きなので、一つの列車をタクシーで追いかけて何度も撮影するという「荒業」が可能なのはメリット。これで、限られた時間のワリにはカットを稼げます。しかし、亜幹線やローカル線のような単線区間はさておき、今回の羽越本線のような複線区間が挟まる路線では、すれ違うタイミングが一定ではないので、深追いしすぎるととんでもない失敗につながります。今回も、そういう痛恨のミスがあったりしますが、これも今から見ればいい思い出かもしれません。そもそもこの羽越ツアー自体が、「棚からボタモチ」で成立したものですから、撮れただけでめっけモノ。贅沢を言ってはいけません。ということで、今月もお楽しみください。



海岸沿いのトンネルを抜けて力行する、下り旅客列車。牽引機は新津機関区のD51443号機。羽越本線が電化直前のこの時期、新津のC57こそいなくなってしまったものの、D51型式が貨物に旅客に大活躍をしており、秋田から新津まで沿線の各機関区に配置されたカマがロングランで運用についていたのだから驚かされます。43・10のときの東北本線盛岡-青森間や45・10のときの鹿児島本線熊本-鹿児島間などもそうですが、この時期の幹線の無煙化は、ディーゼル化ではなく一気に電化、というパターンが主力でした。北海道と完成を結ぶ裏縦貫も、47・10に羽越電化が完成すれば全線が電化。大都市圏を結ぶ主要幹線の電化がひとまず完成するという時期です。


タクシーでの追走で、同列車に追いつきました。なんとかクルマの窓から撮影可能な橋の上から、ワンカットを押さえます。どうやら、道路が鉄道の山側を通っています。これは撮影場所が考証可能です。この時は、鶴岡を拠点として笹川流れに向かって、下り列車を追いながら南下しています。ということは、今川駅より北側。そこで山側に主要道の道路橋がある場所はほとんどないはずです。地図で調べると、それに適合するのは越後寒川の北側で蒲葡川を越えるところしかありません。ここぞと思い、Googleストリートビューで検索すると、色こそ変わっているものの、まさにこの橋ではないですか。文明の利器はスゴい。今シリーズはじめて、撮影地の考証ができました。


さあ、ということで満を持してやってまいりました。笹川流れ。一般の撮影旅行の時は、あまり名撮影地やお立ち台は狙わないのですが、この時はとにかく羽越に行ったという記念撮影でもあるので、恥も外聞も捨ててなにも考えずに安易なカットで撮影します。今川-桑川間の桑川寄り。笹川流れの漁港・海水浴場を望むお立ち台から、先程から追いかけてきた下り旅客列車を迎え撃ちます。フジの35mmネガカラーとはいえ、この時はサブのコンパクトカメラではなく、一応主力で使っていた一眼レフであるミノルタSR-T101に入れてますので、こういう光線状態のいいカットでは、それなりに写っています。まるでプレイザーの人形のような海水浴客が、妙にジオラマ屋の心をくすぐります。


続けて、海に浮かぶ岩場をバックに、D51443号機のエンジンをアップ撮ったカット。443号機は長野工場持ちだったため、ボイラ上の手すりやバイパス弁の点検蓋、デフの穴など、長野工場独自の仕様が見て取れます。また、煙室正面の手すりも、戦時型よろしく小型のものに取り換えられています。これも501号機などにもみられましたが、長野工場持ちのカマにはしばしば見られた仕様です。雪国なので手すりを大きくするというのはわかるのですが、敢えて小さいものと交換するというのは、いったいどういう意味があるのでしょうか。正面のみに光が当たる半逆光で、なかなか辛い光線状態ですが、かえって夏らしい雰囲気は出ているかもしれません。


名残りの見返りで、もうワンショット。これは逆に光線状態がよくなっているので、褪色・変色が起こってはいるものの、わりと雰囲気が良く出ています。無煙化直前の、あまり整備に熱が入らなくなった時期のカマの質感が思い出されてくるカットです。とはいえ443号機は、羽越線無煙化とともに北海道に渡り、北海道仕様に改装された上で、小樽築港機関区で約一年間、73年の末まで活躍します。その時代に北海道でこのカマを撮影した方も多いんじゃないかと思います。力行していますが、助士はヒマそうですね。重油のバーナーをちょっと上げて、それだけで火室の状態をキープしているのでしょうか。1500lを積んでますから、平坦な区間の多い羽越本線では、いろいろ使えたのではないでしょうか。


さて、これは欲を出し過ぎて、見事にハマってしまった一枚。さらに同じ列車を狙おうと、桑川を越えて、桑川-越後早川間まで深追いをしましたが、見事失敗。列車に追いつく前に、対抗列車が来てしまいました。この区間は複線になる上に、上り線、下り線が離れているので、リスクが高いのです。ぎりぎり見返りショットが何とか間に合うというていたらく。やってきたのは、酒田機関区のD51448号機が牽引する、上り旅客列車。機関車の前方にチラリと見える海岸線と、その海岸線に沿って走る未舗装の国道。そこを走る、小型トラックと耕運機。作品としてはあまり褒められませんが、時代の記録としてはなかなか深いものがあります。



もったいないので、もうワンカット。1輌目がオハフ61、2輌目がオハフ33。43系が入らずにこのあたりでまとまっているのが、ぼくらにとっては蒸気末期のローカル普通列車らしくていい感じです。しかし、448号機は長らく東京中心に活躍したカマで、最後は新鶴見機関区に配置され、高島貨物線で活躍していました。このコーナーでも首都圏最後のD51天国-高島貨物線・1970年4月〜8月・その1-で、その活躍を取りあげています。その時と比べても、キャブ屋根の延長など、それなりの改造が行われています。しかしこうやって見比べてみると、長野工場と土崎工場のキャブ屋根延長の違いもわかって面白いですね。それだけ、羽越本線はロングランしていたということなのでしょう。


(c)2016 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


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