羽越本線、最初で最後の夏 その5 -1972年8月-


さて最初で最後の羽越本線シリーズも、いよいよ5回目。これにて千秋楽。二日目は天気には恵まれていますが、もうこの日のうちに帰らなくてはいけないので、そんなに長居はできません。そんなわけで、今回は三列車のみ。といっても、二日間、それも片手間に撮ったものを五ヵ月間引っ張れたのですから、それなりに豊漁だったということができましょう。確かに風光明媚ではありますが、光線の具合と電柱・架線のカブり方を考えると、そんなに多彩なポジションを取れるわけではありません。記念として、記録として、何らかの足跡を残せたというだけでも良かったのではないかと思います。まあ、それがあったから、ここでネタにできたというのも確かですから。



まず最初は、笹川流れでの最後のカット。下り貨物列車ですが、この牽引機の考証はちょっと無理ですね。土崎工場持ちの標準型ということはわかりますが、まさに秋田局管内の裏縦貫用D51としては、もっとも一般的な仕様。おまけに、この時期秋田機関区だけで標準型がまだ16輌現役でしたので、そのどれかとは思いますが、とても特定番号の比定はできません。しかし、良く見ると一輌目はレム400じゃないですか。レム400は、その国鉄らしい現場のニーズを無視した設計により昭和49年に廃形式になっていますので、けっこう珍しいです。この時も、冷蔵車としての使用ではなく、一般の有蓋車代用での使用と思われます。


ここからは、もう帰りがてらの撮影です。複線区間のところで2本撮れそうでしたので、それをサクッと撮って終わりにします。バックの道路は国道7号線のようですが、こういう形で入り江に沿って羽越本線を2度オーバークロスするのは、五十川駅付近しかありません。ということで、撮影地は温海-五十川間と比定いたしました。まずやってきたのは、新津機関区のD511060号機の牽引する、下り貨物列車。トンネルとトンネルの間の区間なので、前照灯を点灯したまま走行しています。当時は昼は消灯して走行していました。それにしても羽州浜街道と呼ばれた国道7号線。さすがに一桁国道だけあって、この時代でも交通量が目立っています。


接近してきたD511060号機を、アップで捉えます。ドーム前の手すり以外にも、シリンダーカバーのピストン弁の蓋、デフの点検穴など、長野工場持ちの機関車特有の仕様がはっきりと見てとれます。しかし、新津機関区は、あと2カ月で無煙化にもかかわらず、手を抜かず良く手入れをしています。機関車の手入れがいい九州でも、無煙化直前はやはりそれまでと比べると、機関車の「艶」が落ちていました。こういうのも土地柄がでるのでしょうか。1060号機は、新製から廃車まで、新津一筋の生え抜きガマで、無煙化後も車籍は残り、この1年後の1973年8月に廃車になっています。そういう意味では、新津に保存されてもよかったカマかもしれません。


続いては、丁度振り返ったカタチの反対側のトンネルから飛び出してきた、上りの貨物列車です。牽引機は新津機関区のD511049号機。個人的には、裏縦貫といえば「1500lの重油タンクをテンダーに載せた戦時型D51」というイメージがあるのですが、この日は本当に次々と戦時型D51がやってきました。カマボコドーム、船底テンダーと1500lタンクって、なんかカタチ的に似合うんですよね。東北仕様と共通するところも多いのですが、LP405の副灯がないのがいいんですよね。まあ、今となってはそれぞれ「らしさ」があるとは思いますが。編成の先頭のワム80000は、全検からあまり日が経っていないのか、まだ黒ずまず結構色が残っています。当時は、こういう方が珍しかったのです。


D511049号機のサイドビューを、見返りで捉えます。これもまた、けっこう状態良く保たれています。しかし、前にもありましたが、当時の新津区ではキャブの窓枠をニスのまま磨きだして使っていたんですね。思わぬ発見です。区名票の「新」の字もはっきり読み取れます。さらに良く見ると、1049号機も砂撒き管が2本のままではないですか。前回登場した酒田区の1002号機も2本でしたが、1049号機は1060号機と同様新津一筋、1002号機も長岡をはじめ、ずっと新鉄局管内で長野工場持ち。戦時設計では砂撒き管は2本なのですが、九州のC57のように1本増設するのは、そんなに大変な改造ではないので、何か新鉄局、長野工場特有の事情があったのでしょうか。


ということで、これで最初で最後の羽越本線の撮影は終り。このあと羽越本線沿線には、足を踏み入れたこともありませんから、今でも「最初で最後」に間違いありません。それを記念したわけではありませんが、名残のテールライト、車掌車の後追いカットを撮っていましたので、それをエンドマーク代わりといたしましょう。これが戦前派のヨ2000とかだといいのですが、当時としては当たり前のヨ6000。とはいえ車扱貨物もなくなり、車掌車もなくなった今としては、これでも懐かしい限りです。リアルタイムの現役時代なら、こんなの明らかに「捨てカット」ですが、今となっては郷愁をそそるものがあります。これだから、記録としての写真は面白いのです。何でもいいから撮っておけば、その価値はのちの時代が決めてくれます。



さて最後は帰りがけのオマケ。場所はわかりませんが、羽越本線のどこかの駅で追い抜いた、オイラン車オヤ31を中心にした建築限界測定列車。ちょうど電化工事期間中で最後の追い込みに入った時期なので、架線柱をはじめ電化に伴う建設物の完成後チェックをしているところだと思われます。かすかに見える車番はオヤ311と読めますが、1号は新潟鉄道管理局の配置ですから間違いないと思われます。連結されたトラにも、係員が大勢乗っています。とにかく、人海戦術で目視チェックをしたのでしょう。しかしこのトラ、側板の継ぎ目が大きく開いています。これでは一般の貨物のバラ積みには使えませんから、多分、配給車代用で職用車として使われていたモノを引っ張り出してきたのでしょう。オイラン車の使用中の写真は、さすがにこの一枚だけです。


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