梅小路蒸気機関車館(その1) -1974年12月-


知人のBlogを見ていると、模型用資料として撮影した梅小路蒸気機関車館の保存機関車の写真が、いろいろとアップロードされていました。デジカメで撮影した比較的最近の写真でしたが、よく見ると、各車輛とも微妙に昔とは違う個所が散見されます。経年変化とは言っても、公園の静態保存機なら「エントロピーが増大するだけ」なのでしょうが、梅小路の場合は動態で保存されていた車輛も多かっただけに、いろいろ修理する中で変化せざるを得なかったところも多いのでしょう。もちろん、30年以上の歳月の中では、静態保存機も何度か補修が必要だったでしょうし、そのたびに何らかの仕様の変更があってもおかしくはありません。そんなワケで、ふと思い立って、30年以上前の、開設されてまもない梅小路蒸気機関車館のカットを取り上げることにしました。撮影したのは、1974年の12月。まだ、国鉄の本線上の蒸気も残っていた頃のことです。実は、05年11月の「記憶の中の鉄道風景」でとりあげた、京都市電のカットと同じ日の撮影。あれは、梅小路から出てきたところで撮ったものです。そういうワケで、雪混じりのあいにくの天気でした。その時に撮影したカットを、何回かに分けて取り上げたいと思います。撮影はPKRによる35mmカラーポジですが、前回のアメリカとは似ても似つかない発色。さしものエクタクロームも、日本の冬景色の前には「侘び・寂び」の色調になってしまうようです。



梅小路で最初に登場するにふさわしい車輛、といえば、誰もがC62の2号機を推すのではないでしょうか。今でこそ1号機と合わせて「新ゴールデンコンビ」になっていますが、当時C62は、2号機しかいませんでした。現役引退直後ですから、北海道時代と大きくは変っていませんが、当初はけっこう記念運転にも借り出されたりしたので、細部は多少の変化があります。「蒸気機関車の角度」の表紙みたいですが、こうやって真正面から見ると、やはり1067mmは狭いですね。スノープラウが付いていないと、先輪とステップの間の空間が、相当に大きいことが目立ちます。また、ランボードの幅と比べると、ボイラーは、一般の人がイメージするほどには太くありません。また、C62の持つ迫力は、ボイラの太さではなく、「車輛限界に対して相当に高いところにボイラ中心がある」ことに起因していることにも気付かされます。ファインスケールについて、よく「蟹股感」だけを取り上げる人がいますが、実は、こういう太さや幅、高さなどのバランスの方が余程問題です。これは、現役時代に実車を見なれていて、そのプロポーションがどれだけ記憶の中にこびりついているか、というところによるのかもしれませんが。


栄光の、スワローエンゼル。C62、特に2号機については、当時ハヤりはじめた「特定機スーパーディティーリング化」の中で、異常なまでにプロトタイプとされていました。このため模型化のための細部資料は、この時代すでに、はっきりいって充分過ぎるぐらいありました。したがって、2号機については、撮影したのは細部の拡大写真ではなく、現役時代同様の「なんちゃって鉄道写真」的なショットばっかりでした。そんな、「いかにも」のカット。深い雪雲が、心なしか北国の気分をかもし出しています。この写真だけ取り出されたら、撮影場所は判定不可能ですね。築港でもいいし、倶知安でも万部でも、はたまた函館でも。しかしこうやって見ると、スワローマークの板厚は、デフレクタの縁取りと比べても、桁外れに薄いのですね。ブラスモデルでは、同じレベルのエッチングで表現することが多いですが、リアリティーからいえば、縁取りをエッチングにするなら、スワローマークは印刷による表現がちょうど良いぐらいの厚みです。


そのまま庫の中に入って行き、キャブの脇まできました。微妙な光線が射し込んで、なんとも色っぽい陰影をかもし出しています。そこで一枚。けっこうこの手のカットは好きで、いろいろな庫で見学許可をとって撮影するたびにトライしています。光線次第の出たとこ勝負なので、いずれにしろ露出が難しく、これも半絞りぐらい開けたほうがよかったようです。とはいうものの、当時は予算の関係から、カラーポジはコマ数ぎりぎりでしか使えず、常に一発勝負しなければなりませんでした。まあ、それもあって、ポジで撮るようになってから、シャッターチャンスを見切るのがウマくなったりしたのですが。そんなワケで、ブラケッティングなんて夢のまた夢。これでも、アタったほうでしょう。しかしこうなると、「梅」が惜しいですね(って何が)。ま、トリミングして、ナンバープレートと製造銘板にスポットライトを当てた構図にする手もありますから(笑)。


この日は2号機は無火だったので、そのままずかずかとキャブの中に上がって行って、撮影したショットがこれ。機関士席回転窓から見た、前方の視界です。そもそも、蒸気のキャブの前方窓の視界は狭いのですが(本来、前方確認は窓から体を外に乗り出して行う)、北海道型の回転窓は、本当に考えられないほど視界が狭いです。信号の色燈の確認以上のことはできそうにありません。しかしその分、この丸い視界を通すと、北海道の気分は盛りあがります。ここは梅小路の庫ですし、ディーゼルカーもキハ20ですが、気分的には、築港の庫で、キハ22という感じがしてきますね。まあ、一応現役蒸気がいた時代なので、完全にそういうノリで撮っているんですが。それにしても、これらの写真。蒸気の現役時代を知らない若いヤツなら、「ニセコ現役時代の築港で撮影」といっても、充分ゴマかせそうですね(笑)。


さて、ちょっと趣向を変えたショット。D51の前で記念撮影する、女性観光客。当時の京都は、ディスカバージャパンブーム以降、「アンノン族」などと呼ばれる若い女性の観光客であふれていました。まさにF1層が、消費や流行の主体となりだした嚆矢、といえるでしょう。このオネエさんたちも、そういう方々のようです。しかし、そういう観光客も梅小路の蒸気機関車館を訪ねて、D51(当時「デゴイチ」の愛称は、蒸気機関車の代名詞として、一般の人にもよく知られていた)の前で記念撮影を取らせてしまうほど、この時代の「SLブーム」は、広く一般大衆に広がっていたことが見て取れます。本筋とは違うので、例によって、ちょっと控え目な大きさにしました。でも模型派の方には、「昭和40年代の記念写真の撮り方」として、人形の演出法に活かせるかもしれませんね。



(c)2006 FUJII Yoshihiko


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