梅小路蒸気機関車館(その2) -1974年12月-


前回予告の通り、今回も1974年の12月に、梅小路蒸気機関車館で撮影した保存機関車の写真の続きです。当時は、まだオープニングから間もない上に、国鉄工場には、蒸気機関車の修繕施設も残されていたので、今とは違い、かなりの輌数の動態保存機がいました。とはいっても、動態保存機は、常に全てのカマに火が入っているワケではなく、その中の何輌かづつが交代で「動態当番」になる、という感じで使われていました。時間とともにボイラの状態等により、火を入れられなくなるカマも増えてきて、今にいたるのですが、この頃はまだ多くのカマが「現役」でした。今回はまず、当日火が入っていたカマの中からD50 140号機をとりあげます。



実はD50型は、筑豊本線で最後の4輌が活躍していた時期に、二度訪問して現役の姿を撮影しています。そういう意味では、140号機は久々の対面、という感じでした。D50型は、大正13年から昭和6年にかけて製造された機関車で、確かにSL末期の現役機関車の中では古いほうに属しますが、最末期まで活躍した9600型や8620型に比べると、10年ほど新しい機関車ということになります。しかしSLブームの頃には、96や86以上に「古豪」という感じがしたのも確かです。まあ、86は佐倉、96は大宮と、東京近郊にもかなり後までいたので親しみがあるのに対し、D50は早々に「辺境の地」でなくては見られない形式になっていた、ということがあるのかもしれません。最初に現役機を見たときには、何か歴史の証人に対面したような、妙な感激があったことを覚えています。まずは、梅小路の定番。正面からのカット。蒸気も上がり、今や動き出さん、というところでしょうか。


さあ、動き出しました。D50型は、もともとそれほど状態がよくなかったこともあり、ワリと早い時期に静態保存に切りかえられました。そういう意味では、梅小路で生きているD50というのも、それなりに貴重かもしれません。まずは、ターンテーブルに乗ったところで、公式側。長年の力闘のなせるワザか、各部の鉄板やパイピングも、相当にべこべこ、ヘロヘロになっています。模型の場合、アメリカンナローとかだと、こういう経年のヘタレも模型で再現しちゃうヒトがいますが、日本型だと、なぜかウェザリングどまりですね。しかも、そのウェザリングすら異端視するヒトが多いのですから不思議なものです。実物を見たことがないのでしょうか。新車っぽく、ピンと角がたって、ピカピカに仕上げるのなら、D50ではなく9900にしなくてはおかしいんじゃないですかね(笑)。


今度はターンテーブルをまわり込んで、非公式側です。撮影ポジションの関係で、グッとアップになってしまい、二分割。その分、ディティール、パイピングの資料というところでしょうか。光線状態も、こちら側はいいようですし。しかし、この「老婆の厚化粧」みたいなデコレーション。現役最末期に、直方で梅小路入りを待っていた頃、すでにこのスタイルでしたからね。スキかキライかはさておき、ディティールがよくわかる、という一点だけは評価できるでしょうか。ボイラの太さ、化粧煙突の形とヴォリューム感、意外にもLP403の大きさが功を奏して、けっこうスマートな感じさえします。まあ、ボイラ周りディメンションは、D51やC59とおよそ同じなのですから、おかしくはないのですが、「一回り大きい96」みたいに思っちゃいがちなんですよね。


細かいディティールは、今見ていても、実にいろいろ発見があります。逆に蒸気なんて、現役時代の「イメージと思い込み」が大きいですからね。自分で集められた資料の範囲なんで、そんなに裏の裏までキチンと見てないし、ディティールにしても、その当時の16番の「スーパディティール」のレベルでしかとらえてないし。このカットでも、バルブのコックにも数種類大きさがあることや、どのパイプの太さの大小関係も、意外な径の管が使われていることなど、情報量は豊富ですね。磨き出してくれているので、銅管、鋼管、布巻管の使いわけも一目でわかります。おまけに、こうやってみると、けっこう「現物合わせ」で配管していることも。


日本の鉄道技術は、最初はイギリス、のちにドイツと、明治時代はヨーロッパをリファレンスとしてきましたが、大正以降は、自連・空制化や、電車・電機など、実はアメリカの影響が極めて強くあらわれてきます。蒸気の場合、ベースにすでに習得したヨーロッパ的なものがあるのは確かですが、C、Dがつく制式機は、アメリカの影響が顕著です。20世紀に入ってからのアメリカにおける蒸気機関車関連の技術革新を、ヨーロッパ系技術のベースの上に乗っけた、というのが一番ピッタリするでしょうか。そういう意味では、このD50など、1910年代のアメリカ型蒸気と共通する要素をいろいろと見て取れます。これなんかも、出戻ったからこそ先入観なく見れるポイントかもしれません。


さて、今回最後はC551号機。フロントデッキの給水温メ機の、真鍮の飾り帯つながり、というところでしょうか。車輪踏面の錆を見ると、このときすでに静態状態だったようです。C551号機は、梅小路蒸気機関車館開館前から、梅小路区に転属して「その日」を待っていたのは有名な話で、まだ旭川に現役のC55がいた時代に、すでに梅小路に来ていました。ぼくが、宗谷本線の撮影に行ったのはその時期なので、30号と50号は撮影しましたが、1号は、このときが初対面でした。九州のC55は執念で撮りまくったのですが、門デフ付きで手入れのいい九州のカマに比べると、北海道のC55は、なぜか一回り古風に見えました。ということで、梅小路シリーズ。もう一回ぐらいはできそうですね。



(c)2006 FUJII Yoshihiko


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