梅小路蒸気機関車館(その3) -1974年12月-


さて今回も、前回の終わりにちょっと漏らしたように、またもや1974年の12月に、梅小路蒸気機関車館で撮影した保存機関車の写真を続けます。さあ、もうこうなったら「毒を喰らはば、皿まで」。使えるコマは、全てだしちゃうところまで続けましょうか。まあ、あともう一回ぐらいかな。当時の蒸気機関車館の演出は、その日火が入っている動態保存機が、交代で出てきては「ポーズ」を取る、という感じのものでした。まるまる1日いれば、「動態当番」のカマが「見栄を切っている」ところは全て撮れるのでしょうが、一時間や二時間では、正面切って撮れないカマも出てきてしまうワケです。今回の動態機は、そういう脇役的な登場をしている2輌です。



扇形庫と反対側の留置線には、C11の64号機と、C57の1号機が休んでいます。どちらも有火ですから、午前中とかには主役で見栄を切っていたのでしょう。こうやって見ると、ランボードには白線、ロッドには赤を入れ、光りモノのハンドレールや飾り帯がついていれば磨き出し、というのが、当時の梅小路の動態機の標準仕様だったことがわかります。おまけにこの2台は、運転台の窓枠もニス色に輝いていて、作りなおしたばかりということもわかります。隣にいるスハ32系の救援車も、なにやら気になるところ。とはいうものの、この線路は、山陰本線用のDLの庫と接しているところにあるので、クサリにつけられた注意書きのように、これ以上先へは入れず、寄って撮れないところがなんとも辛いところです。。


C1164号機の、非公式側からの形式写真。こっちからだと、半逆光になってしまうので、なかなか辛いものがありますが、なんせ、撮れる位置が限られてるもので。とはいうものの、元気良く吹き上げる黒煙が、バックに見える幹線の機関区らしい給水塔と照明塔に映えて、現役的な息吹きというか、躍動感らしさがあるんではないでしょうか。C1164号機というと、会津若松で長年活躍していた2次型のカマで、SLブームの初期にはよく被写体となっていました。若番のC11の中では比較的調子がいい、ということで動態保存の対象となったものと思いますが、長く続くことなく静態化されてしまったようです。その後、各地で動態保存機としてC11が重宝され、次々復活しているコトを考えると、もうちょっと長く持っていれば、その後のC56160号機のように、いろいろなイベントに引っ張りダコになっていたかもしれませんが。


「やまぐち号」になる前の、C571号。隣の線が空いたので、入れるぎりぎりのところまで寄って撮った、公式側斜め後ろのサイドビューです。「お召し」に代表される、新津時代の1号機はよく知られていますし、やまぐち号になってからの姿は、それこそ衆人の注目を集め続けていますし、もしかすると、梅小路保存機時代というのが、一番目立たなかった時期かも。基本的には、他の保存機がそうだったのと同様に、70年代の梅小路保存機は最終配属地での仕様をワリと保っていましたので、新津末期の姿、あるいはSLさよなら列車に使われた頃の姿と、大体一緒ですが。今となっては、原型の煙突が哀愁をそそりますね。現役時代の梅小路所属のC57は、5号機や15号機のように、デフレクタの点検穴が開けっ放しではなく、ご丁寧に「フタ」がついているカマが多かったので、点検穴つきのデフと、梅小路の取り合わせというのは、わかるヒトには興味をそそられるところでもあります。


ふたたび庫に戻って、今度はD51の1号機。このカマも、当時は動態保存機でしたが、この日は「非番」と見えて、火は落としているようです。ところで、この時点での静態機と動態機の違いは、キャブへの見学通路が設置されているかどうかで判別できます。静態機は、後に出てくるD52のように、非常階段のようながっしりした鉄製の通路が作りつけになっています。1号機といえば、最後は梅小路の開設待ちで浜田にいたはずですが、保存機ということで手をかけなかったのか、東北仕様の特徴が色濃く残っています。それにしても、お召し機のような「旗受け金具」がついていたなんて、今回、この写真をスキャンしてはじめて知りました。いろいろ、発見はあるモノです。そもそも、蒸気を真正面から見る、などというチャンス自体、現役時代にはそうあるモノではありません。SLブーム末期に死亡事故が起きるまでは、事前に許可をとれば、機関庫内での撮影も比較的簡単にできましたが、それでも「業務に支障がないように」というのが大前提でしたから。


D51の1号機でも、「得意ワザ」をやってしまいました(笑)。1930年代の流線型ブームが、基本的にはアールデコからの流れを引きずる、「格好をつけるためにするもの」であるとするなら、貨物機でありながら、約100輌も作られた「ナメクジ」は、日本における流線型の「最大の成功例」といえるかもしれません。ところで、ブレーキ用のエア放熱管って、凝集した水分が落ちてゆくように、こんなに目で見てわかるぐらい、横「ハ」の字形になっているんですよ。いまだに模型では、平行でなおかつ帯金のステイが表に出ているようなのを見ますね。これも「シュパーブのくびき」なのでしょうか。ところで、例によって現役感を盛り上げる、庫外のシーン。キハ20の乗務員室扉のところと、キハ17のバス窓がチラリと見えています。偶然とはいえ、こういうのはいいですね。臨場感があって(って、何が)。


数年前にオーバーホールされ、動態保存への復帰が話題になった、B20。この日は無火ですが、まだ、動態は動態だった時代です。B20の10号機といえば、鹿児島機関区のペットとして知られていました。現役時代は、本来なら時代と合わないはずの、大型の形式入りナンバープレートを、あたかも子供が大人の帽子でもかぶるかのごとく装着しているのが、一段と愛嬌を振りまいていました。しかし、あのナンバープレート。現地に行ってみればすぐわかるのですが、木製でペンキ塗りという、実は代用資材の代物。戦時設計で代用なので、せめて格好だけは立派に、という立山重工業のみなさんの心配りなのでしょうか。その時代を知っている者からすると、梅小路にきて一般型のプレートになってからは、いかにも産業用のカマ、という感じになって、ちょっとかわいらしさが減ってしまったような気もします。


今回のラストは、D52のラストナンバー468号機。B20と続けて、最小と最大、というところでしょうか。個人的には、D52は国鉄の制式機の中ではけっこう好きなカマで、実はC62よりD52の方が、ずっと好きだったりします。日本国内で使われた蒸気機関車の中では、規格外にデカいコトもたしかなのですが、そのデカさもアンバランスになるぎりぎりのところで、なんとか全体のバランスを取れているところに美学を感じます。南海キャンディーズの「しずちゃん」みたいなものでしょうか(爆)。現役時代は、函館本線での五稜郭にいたカマの活躍しか撮影できませんでしたが、青函連絡船により内地と結ぶ長大な貨物を牽引し、北海道のライフラインを一身に支えている、という力強さに感銘を受けたものです。よく見ると、公式側に、D51のところで述べた「キャブへの通路」の階段が見えます。さて次回は、残りのカットテンコ盛り、といきましょうか。



(c)2006 FUJII Yoshihiko


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