都電12系統 四谷三丁目 -1970年-


昭和40年代は、鉄道趣味者の思い出の中では、蒸気機関車の廃止とともに空前のSLブームが起った時代として、強く印象付けられていますが、蒸気だけでなく、日本各地で路面電車が廃止された時代でもありました。もちろん東京にも、主として山手線内と城東・下町方面ですが、都電の路線が網の目のように張り巡らされていました。これらの路線も、今の荒川線となった27、32系統を除き、数年間で一気に廃止されてしまいました。もちろん、ぼくも子供の頃は何度も乗りましたが、被写体として意識する以前にかなり廃止が進む一方、末期はSL撮影のほうに忙しく、ほとんど意識して写したことがありません。そんな中で、新宿まで買い物にでも出かけたついでに、ちょっと足を伸ばして写した、都電12系統新宿-岩本町間(本来12系統は、新宿‐両国駅間であったが、1968年の一部廃止で、岩本町までになった)の最後の姿です。



この写真を撮った日時は、実にラッキーにも特定可能です。というのは、この写真は、35mmフルサイズで撮影されているのですが、この一眼レフを買ってもらったのが、1969年の誕生日ですから12月。しかし、1970年の3月26日には、12系統は廃止されてしまいます。そして画面をよく見ると、日の丸がついています。ということは、撮影したのは祝日。この間の祝日は、1月15日の成人の日と、2月11日の建国記念日、3月下旬の春分の日がありますが、街の様子はまだ真冬ですから、1月か2月。しかし、2月は期末試験の関係でとても出歩けませんから、1970年1月15日と判明しました。まずは、四谷三丁目から新宿の方を見通したトコロにやってきた6000型、岩本町行きです。今や道路は拡幅し、周囲はビル街になってしまいましたが、こんな景色だったんですね。自転車のオッサンが、いかにも「昭和」という表情で、いい味を出してます。


道の反対側に渡って、四谷三丁目の交差点から四谷方を見通してみました。同じく6000型の岩本町行きです。でもよくみると、先ほどの6266号と、この6233号では、行先表示機等、細部に微妙な違いがあります。6000型はいろいろバリエーションが豊富なのですが、どうもぼくはそれほど詳しくありません。ああ、そういわれれば、そういうのがいたな、とは思うのですが。手前を走り去ろうとしているクルマは、三菱ギャラン。電車の向こう側に、ちらっとハコスカのお尻が見えますが、当時は、これが最新型だったワケですね。このスカイラインがそうなのですが、レザートップと称して、アメリカ車のように、屋根に幌風の合成皮革を貼るのも、この頃けっこうハヤっていました。


さて、同じ場所から続けてもうワンカット。今度は8000型の神保町行き。8000系は、都電の廃止を前提に登場した、耐用年数を押さえた「元祖・走るんです」。ぼくがはじめて見た頃は、登場してまだそれほどたたない時期だったので、それなりにキレイで、颯爽としていましたが、末期には、かなりヘタってきているのが、あからさまに目立ちました。脇を走るのは、偶然にもマイナーチェンジ前(自家用)と、マイナーチェンジ後(チェッカータクシー)のセドリック。こういう、ボンネットとフェンダーのプレス型を一新するようなマイナーチェンジというのも、高度成長期ならではのものです。右端にチラリと、古いタイプのコロナも見えています。


今度は同じ位置から、退きでワンカット。四谷に続く街並は、まるで斜陽の地方都市のようです。ビルが都市計画に合わせてセットバックして建っていますが、今の道幅は、そこまで広がっているワケです。先ほどの8000型が、こんどは13系統の新宿行き6000型とすれ違おうとしています。カローラ、コロナ、クラウンと、トヨタ車の3重連(笑)。しかし、その脇を抜けようとしているのはジャギュワですよ。国産車が未熟だったもっと昔ならいざ知らず、モータリゼーションの起り始めたこの頃は、外国車が一番珍しかった時期ではないでしょうか。地下鉄の駅のところにいる初老の夫婦。よくみると、奥さんの方は、和服に毛皮のショールですよ。1月なので、まだ正月気分(確かに昔は、15日の鏡開きまでは正月だった)というのもあるのでしょう。でもこの時分は、改まった時には、こういうスタイルで出かける女性もまだけっこういたのも確かですが。


という感じで、つかの間の撮影を行った後、名残の乗車を楽しみました。新宿行きの車内から捉えた、すれ違う岩本町行きの6000型です。ぼくの乗っている車輛も、窓のカタチから6000型とわかります。場所は、新宿通りの新宿2丁目(!!)。地下鉄丸の内線新宿御苑前駅付近でしょう。車窓遠くに、伊勢丹や銀行など、新宿の街並の看板が見えています。側窓からチラリと見える、和装の男性も時代を感じさせますが、当時でもこれは珍しかったんですよ。場所が場所だけに、末広亭でもいくのでしょうか。この直後の3月26日を期して、12系統とともに13系統も廃止され、新宿から都電の姿が消えてしまいました。


(c)2004 FUJII Yoshihiko


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