田川線の3日間 その3(無意味に望遠 その15) -1973年4月5・7日 1974年7月24日-


田川線特集もこれで3回目。とはいえ今回でモノクロのカットは出し尽くしですので、ひとまずこのシリーズは今回で終了となります。3日間と銘打っているものの、実はモノクロのカットが多いのは初日の1973年4月5日のみ。今回で残りの2日がまとめて出てきているような感じになってしまいました。1973年4月7日は、夜行往復で南九州で撮影してとんぼ返りした日で、日田彦山線との掛け持ち撮影で、望遠を付けたサブカメラの出番があるようなポイントでほとんど撮影をしていません。1974年は最後の九州ツアーですが、モノクロ自体、記録用以外は撮ってない状況です。そんな感じですが、今回もお付き合いいただけたらと思います。



午前中もこのお立ち台で貨物列車を撮影しましたが、午後も「重連+後補機」の貨物列車をここで狙います。まずはカーブに入ったところで、本務機と前補機をアップで押さえます。列車全体を狙うのが本命ですが、重連の機関車だけでも充分に迫力があります。前補機は行橋機関区の59684号機。門鉄局のサヨナラ列車で、開通前の新幹線と劇的な出会いを演出した人気ガマです。本務機はちょっと考証が必要です。デフ付きなので、行橋機関区のカマであることはわかります。パイプ煙突で標準デフ「中中」のエアタンクという特徴は、このカットからでも読み取れます。この時期の行橋には、このような装備のカマは1輌しかいません。ということで69614号機と比定しました。


続いて、列車の編成全体を望遠で捉えます。ブロニカには標準を付けて、このあと編成が全て築堤の直線区間に入ったところで押さえようという寸法です。これだと、むやみにカットを増やすのではなく、一粒で二度違うカットを楽しめます。後補機は、この日の後補機運用に入っている後藤寺区の49619号機。揃い踏みです。前補機は爆煙になっていますが、本務機は煙がほとんど見えません。ドラフトが上がって本務機の煙を揺らしているのは見えますから、これは別に手抜きではなく完全燃焼で力行していることがわかります。確かに前のカットでは、淡い色の煙が出てきます。本務機の機関助士は相当に腕が立つ人ですね。麻生セメント私有のホキとホラを連ねた、キレイな編成です。


ここからは、4月7日のカットです。まずは後藤寺駅の駅頭に佇む9600形式。どちらかというと、ディテール工作の資料として撮影したカットと思われますが、それなりに絵になっていますね。こうやってみると、空気作用管は本当に細いです。0.2mmでも太過ぎです。ボイラーバンドも、ほとんど厚みが感じられません。模型のディテール表現は、実物をよく見ていればいるほど、悩ましくなります。さてこの機関車、行橋機関区のカマということはわかりますが、何号機でしょうか。ポイントは、中中のエアタンクにオーバーラップするように付けられた放熱管。こういうパイピングの9600はあまりありません。ということで39638号機とあっさり解決です。


その39638号機が、車扱の貨物列車を牽いてやってきました。荷積みしてシートをかけたトラを挟んで、回送のセフが3輌。最後にワフがついているという妙な編成。モデラーはまずやらない編成ですが、実物は諸般の事情から想定外の編成もけっこう登場します。事実は小説より奇なり。これが貨物列車の面白いところですね。典型的なバッタ撮りなので、場所を意識して撮ったものではなく、こういうカットは撮影場所の比定が難しいです。とはいうものの、このカットには重要な証拠物件である「10.5qのキロポスト」が写っています。後藤寺駅周辺で10.5qのキロポストがあるのは、後藤寺線の船尾駅付近(船尾駅は9.9q)しかありません。ということで、場所も判明です。


ボタ山をバックに、田んぼの中の低い築堤を快調に走る、セキ・セラの返空列車。これも、もっと引き寄せたところでカラーで撮るのがメインで、そのついでに望遠を使ってボタ山のある風景を撮ったものです。これも後藤寺-船尾間でしょう。デフがないので後藤寺機関区のカマですが、ちょっと遠景なんで機番の特定が難しいです。延長した化粧煙突、中中エアタンク、通常型テンダといった特徴は見てとれますので、39681、49689、79600のどれかだと思いますが、このカットだけでは断定できません。カラーのカットを探して見てしまえばわかると思いますが、パズルを解くように比定するのも楽しみの一つなので、今回はここまでにしておきましょうか。


さてここからは、1974年7月24日。最後の九州行きとなった撮影旅行で撮影したカットです。この時九州に残っていた蒸気機関車は、高森線と湯前線以外、貝島炭鉱も含めて全部回るという日程でした。実はもう半分腑抜けになっていた上に大学生になって資金繰りも改善されたので、ほとんどブローニーカラーポジの一発撮りで済ませ、モノクロは模型用の記録みたいのしか撮っていません。ということでこの時は蒸気の写真はありません。おなじみ、後藤寺線の中元寺川橋梁をゆくディーゼルカー。キハ20+キハ10+キハ26でしょうか。わずか3輌でも、このデコボコ感。このあたりが、当時のローカル気動車の魅力ですね。


続いては、後藤寺駅(現田川後藤寺駅)の上り側にあった信号扱所と、その脇をゆくディーゼルカー。先頭はバス窓キハ20ですね。後藤寺駅の上り方向は、日田彦山線・後藤寺線・糸田線と3つの路線が分かれてゆきますし、日田彦山線には田川線・伊田線系統の列車も入ってくるという、東筑豊の鉄道の要衝でした。さすがに線路配置も複雑で、専用の信号扱所があったという次第。かなり立派な堂々とした扱所です。しかしこの扱所のリアルサイズのストラクチャーを作ったら、それだけでジオラマやレイアウトが埋まってしまうことは必至です。それにしても線路間を埋め尽くさんばかりに複雑に配置された、信号と転轍機の操作テコ。全部超アナログの「物理仕掛け」でやっていたんですから、驚かされます。



(c)2017 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


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